![]() 布引観音近くの千曲川です。 この川にかつての布引鉄道の面影が残されています。 ![]() 布引観音を降りたところから見えるこちらの支柱が布引鉄道のものと思われます。 近場で撮影されている写真を見かけますが、ここはトンネルの出口で車を止めることは難しいです。 だから、遠くから撮影しました。 電車が42人乗りの設計であったにもかかわらず 運転士と車掌のみで運行していることが珍しくないことから、 「始終(四十:しじゅう)二人乗り」 「シジュウカラ(始終空)の小鳥電車」 などとも揶揄された。 (ウイキペディアより引用) 理由はともあれ、人工のものは人が管理しなくなった後は荒廃の一途をたどります。 自然に帰ると言ったほうが良いかもしれません。 この鉄道は1926年12月1日に閉鎖されました。 85年前のことです。 太平洋戦争で焦土と化してからわずか65年しかたっていないのに、 今の文明が未来永劫に発展し続けるような気がしているのは、 誰もがそう思っているのかもしれません。 1万年先は環境を含めどうなっているのかわからないというと、 そんなころにはとっくに自分は死んでいて関係ないという人もいます。 布引鉄道は布引観音の参拝客を目当てに作った鉄道で、 シーズンはそれなりにお客があったらしいです。 85年前に観音様にお参りした人たちも、 死後のこともお願いしたかったからではないでしょうか。 その当時お参りした人はほとんど生きていません。 でも、輪廻転生し現在も1万年後も関係あるんです。 千曲川の流れを見ていると、 ふと、時間の迷路に入ったような、 そんな気分でした。 ![]() ***過去の不思議なまるの記事はこちらからどうぞ*** ***丹沢など近場の山歩きの記録はこちらからどうぞ*** ***遠足・ハイキングの記事はこちらからどうぞ*** ***鎌倉の記事はこちらからどうぞ*** ***鎌倉以外の神社仏閣の記事はこちらからどうぞ*** ***横浜界隈の記事はこちらからどうぞ*** ***江戸界隈の記事はこちらからどうぞ*** スポンサーサイト
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小諸市民さん
ご指摘ありがとうございました。 実は、コンクリートの基礎部分に劣化の形跡があまり感じられず、80余年たってもコンクリートとは優秀なものだなあと感心していたところでした。 今度、歩いてその跡を追ってみたいと思います。 ほかの読者の方へ 当初書いた記事は誤っていました。 スミマセンでした。 記事中に、本当の布引鉄道の橋脚跡を掲載しました。遠くから撮った写真ですので、見にくいですが。 今晩は。
85年前でのよく残っていますね。 10年くらいは動いたのかも? 輪廻転生を考えると、人は皆どの時代でも関連してくるのですよね・・・
今度生まれ変わるときは、居間よりも素敵な世の中になっていてほしい・・・ 心からそう思います。 余計なことと思いましたが、一応レスつけておきますね。
この吊り橋の遺構は、布引鉄道のものではありません。 隣にある鉄橋に付け替える前の道路橋の名残です。 布引鉄道の遺構である橋の名残は、其れよりずっと下流の布引の手前のトンネルを出たところにありますよ。 従って、布引鉄道の線路跡も、小諸駅から、芦中の前を通って田んぼの中を掘り割りになって通っています。 一度お確かめ下さい。
【2011/01/18 08:40】| URL | 小諸市民 #- [ 編集 ]
おはようございます
かつての鉄道の後が 時の移りをイメージさせて なんともいい感じのお写真ですね 日本の鉄道って あらゆるところを走っていたのですね 珍しい風景をありがとうございました ぽち☆ ![]() |
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