![]() この前ここに来たのは2008年12月の義士祭のとき。 3年ぶりとなります。 ![]() 大石主税他9人が三田松平隠岐守邸内でこの梅の下で切腹したと伝えられています。 ![]() 浅野長矩公が田村右京大夫邸の庭先で切腹した場所にあった石と梅です。 ![]() 吉良上野介の首をこの井戸にて洗ったとされています。 ![]() 網がかぶせられていました。 ![]() 線香を100円で買い求め、義士の墓に向かいます。 正面が浅野長矩公のお墓、左側が赤穂浪士のお墓となります。 ![]() 事件は1701年。 あれから310年も経過しましたが、一連の事件は風化しません。 なぜならば、それは日本人の心に同期する事実だから。 ![]() 墓所の案内図です。 48名の名前があります。 ![]() 線香を少しずつ手向けて回ります。 ![]() 大石内蔵助の墓です。 まる学的に見れば、いったん部下とともにこの世を去ることにはなりましたが、 無くなったわけではなく、今もどこかで活躍していることと思います。 ただし300年前の記憶を持たずして。 ![]() 墓所内北西にある十三回忌碑のところで、私が線香を置くと、 今まで煙の出ていた線香が突然燃え上がりました。 そうか、、、、と、しばし炎を眺め、 手で仰いで炎を沈め、そこを後にしました。 ![]() 最後に浅野長矩公の奥方様のお墓を訪れました。 この季節、混合うことはないのですが、訪問する人は絶えません。 若いお兄ちゃんも来てました。 消えかかっている日本人の心が残っている場所です。 ![]() ![]() ***過去の不思議なまるの記事はこちらからどうぞ*** ***丹沢など近場の山歩きの記録はこちらからどうぞ*** ***遠足・ハイキングの記事はこちらからどうぞ*** ***鎌倉の記事はこちらからどうぞ*** ***鎌倉以外の神社仏閣の記事はこちらからどうぞ*** ***横浜界隈の記事はこちらからどうぞ*** ***江戸界隈の記事はこちらからどうぞ***
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